子どものいじめが後を絶たないのは命を慈しみ、人を思いやる心が養われていないからだ。そう言って国は道徳の教科書を作り、学校でみっちり学ばせるようにするらしい。
広辞苑に、道徳とは「人のふみ行うべき道」とある。そんな高尚な精神世界を説く教科書を誰が書くのか。聖人君子でもない先生はその神髄を教え、成果を評価できるのか。私ごとき凡人には想像が及ばない。
道徳教育の重要性を訴えてやまない国の有識者会議の面々が、まずは手本を示してはどうか。全国の学校にネットで授業を配信し、優しい心が一斉に培われるなら効率的この上ない。
もっとも、どんな徳育のプロの言葉も、子どもの心には響くまい。何しろ道徳心を欠いた大人ばかりが跋扈する世の中だ。食材を偽装したり、暴力団に融資したり。危ない線路を放置する鉄道会社まで現れた。
最たるものは、憲法違反の選挙で選ばれながら改憲を唱える国会議員ではないか。自らの存在の違憲性を棚に上げ、子どもの徳育の大切さを強調する不道徳ぶりはもはや滑稽だ。
夏目漱石は「道徳は習慣だ。強者の都合のよきものが道徳の形にあらはれる」と記した。いじめから友を守り、敵から国を守るためなら喜んで犠牲を払う。道徳をうまく仕込めば、そんな習慣も身につこう。習慣化すれば、人々は無頓着になる。現代の強者の都合が気にかかる。
「道徳」を持ち出す真意
by 大西隆
東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2013112002000164.html